東京都在住 中里 一史(沖縄県出身)
「ジンユ」という名の女の子と出会ったのは、ちょうど5年前の8月頃だった。
彼女は、中国遼寧省出身で、日本の大学に進学するために、日本語学校に通いながら沖縄料理店でアルバイトをしていた。
ぼくたちは、彼女が働く新宿の沖縄料理店で知り合った。
仕事終わりに、僕が個人的に通っている店だった。
以前から、中国の文化が好きで、中国語を学んでいることを伝えると、すぐに彼女と打ち解けることができた。
学校終わりに、毎日のようにアルバイトをして、帰ってからも大学受験に備えて勉強に励んでいた彼女。
今思うと、彼女は本当にすごく大変だったと思う。
まだ二十歳にも満たない十代の子が、それも慣れない異国の地で、このようなハードな生活を送っていたのだから…。
ただ、今になって、あの頃を振り返ると、助けられたのは、ぼくだったことが多い。
「中国語の勉強がはかどりますように…」
そう言って、プレゼントに買ってくれた日中辞典、ボロボロにすりきれた今でも大切に本棚に飾ってある。
進学の不安、生活の不安、未来に対する不安、そんな自身に大きな不安を抱える中で、
ぼくのことを気遣ってくれた彼女のことは忘れないと思う。
一度、彼女にこのような質問をしたことがある。
「今の生活、辛くない?」
すると、彼女は「頑張って仕事や勉強をして、私を日本に送ってくれた両親の負担を少しでも減らしたい。でも、やっぱり故郷を離れるのは寂しい」と、哀愁に満ちた顔でそう答えた。
涙を堪えながら、そう答える彼女を見て、ぼくはハッとなった。
10代の子が、親元を離れて、異国の地で辛くないわけないじゃないか。
今まで、日本の友人とは、そんなに人生に関するリアルな会話をしなかった分、彼女と交わす一つ一つの会話が本当に衝撃的だった。
何より、ぼくらは仕事の目的や自分のしたいことのために働いている目的というのとは別に、彼らは生きるために、そして家族のために働いているという認識の違いを知った。
あれから五年の月日が経った。
今、ジンユは大学を卒業して、希望していた日本の某商社への就職が決まったと、真っ先にぼくに報告してきた。
「ずっと日中間に関われる仕事をしたかったの。これから先も、ずっと大好きな日本に関われるように。」
今、日本のさまざまなメディアが”中国に対するネガティブな報道”を連日のように伝えている。
中国人に接したこともない日本人が、その報道を全て真に受けて、日本にいる中国人に対する風当たりが日に日に強くなっていく。
中国語を話せるようになったぼくは、中国ともビジネスで関わることが増え、最近では周囲の人間からも、「実際、中国人ってどんな人たちなの?」と聞かれることが多い。
もちろんぼくはこう答えるようにしている。
「中国人とか関係ないよ。結局は人なんだよ。だから、まずは自分で中国の人たちに接してみてほしい。」
彼女が与えてくれた前向きさ、優しさは今の自分の糧となっている。
ボロボロになった日中辞書は、小さな小さな「日中友好の証」として死ぬまで大切にしていきたいと思う。